奥の院 本殿 拝殿
初めに
経済的・精神的自立を目指して
私こと円心は、今年の5月末をもって第二の職場を辞して完全に自由の身となった。
組織に依存することをやめ、まさに独立自尊の生活に入ったわけである。
自由の喜びを実感できたのは、定年退職のときに続き今回が2度目である。
束縛から自由になって、貴重な時間を自分の思いどおりに消費できる喜びは、まさに天にも昇るような本当に素晴らしいものだと思う。
体全体が喜びの波動に包まれていることが自分でも良く分かる。
この恍惚状態が、まさに精神の喜びというものなのだろう。
本当に有り難いことで大いなる存在に対し感謝申し上げたい。

考えてみれば、今まで40年間、休むことなく一生懸命に走る馬車馬のごとく働き続けてきた。
それでも、与えられた仕事には恵まれてきたように思う。
それは、自分の立ち位置を考える上で大変有意義な学びの場となったからである。
主な仕事は企業経営や地域経営(地域振興や観光振興)、そして人づくりなど、組織の活性化や人間の生き方において真理と思われるものを探究できる興味深い仕事であった。
企業や地域が生きてきた歴史をたどることによって、己の生き方が見えてくる楽しさ。
そして、企業や地域がどうすれば生き残り成長していけるのかということと人間の生き方は同じなんだと気がついた時の喜び。
多くの自立した人たちとの出会いによって、自分は人間としてどう生きるべきかといった課題を与えられたことは本当にラッキーだったと思っている。

自己を確立した素晴らしい人たちから、数々の価値ある貴重な体験を通して語っていただいた実践哲学は私自身の疑似体験としてこの体に深く染み付いている。
このことは、まさに私自身の見えない知財となったようである。
多くの人たちに支えられて作り上げた知財を、何とかして世のため、人のために少しでもお役に立てればと考え、少しずつ実行に移し始めているところである。

この40年間、仕事では「経営支援」にかかわる仕事に長く携わり、数多くの経営者や地域リーダーの方々と一緒になって、サバイバル社会の中をいかに生き、どう成長していくかを共に考え、実践してきた。

仕事以外では、「山」「座禅」と「絵」「仏像彫刻」そして「カウンセリング」等を長く続けてきた。

今現在、私自身は先に述べたように全ての職から身を引き自由気ままに生きていくことにしたわけであるが、これからの目標は「自立」である。
自分で自分自身をどのようにマネージメントしていくかなのである。

当然、人間一人では生きていけないことは百も承知のこと。
「大好きなこと」「大好きな仲間」はわたしにとって大事な大柱である。
これらは愚笑楽に生きていくためにも絶対に必要な条件であり、欠かすことはできないと考えている。

その上で
土台に「経済的自立」(家を建てるための土台と同じ)を置き、人様や組織に依存しなくとも生きていける状態を確保する。

その次は精神的喜びが享受できるような生き方をしていくために、原則として自分の好きなこと以外やらない。
そして、この「精神的自立」を図ることを目標に、日々の生活を3つの領域に分けて考えてみることにした。

第一は「奥の院」である。
ここでは、毎日朝5時に起きて標高300メートルの裏山に登り、霊石の上で座禅をし、日の出を迎えお経を唱える。

第二は「本殿」である。
本殿とは自宅の24畳の天井裏である。ここでは好きな絵を描き、仏像を彫ることにした。

第三は「拝殿」である。
上記の「奥の院」と「本殿」は洞くつ(あの世の入り口)であるが、拝殿は広場(娑婆)である。
広場ではこれから世界がどう動き、日本がどのようになっていくのか、そして産業や企業更には地域がこれからどのように変化していくのか。
その変化に呼応して働いている人や学生、高齢者、障害を持った人たちがどう生きていくのか。
急激な社会変化についていけず、悩み苦しんでいる人たちも沢山いる。
そのような人たちがどのようにしたら自立でき、豊かに人生を送れるのかを一緒に考え、一人一人が自分にふさわしい生きかたを実践していけたらと考えている。

私自身も最後の第四コーナーに突入したわけで、残り時間がどのくらいあるのかは見当もつかないが、いずれにしろ短い時間であることは間違いない。
残された貴重な時間をより精神的喜びに満ちたものにするためにも、今までの経験を生かし、「支えられ必要とされる」豊かな関係を織り込み、素晴らしい人生の織物を紡いでいきたいと考えている。

21世紀の生き方の一つのモデルとして、自分自身の人生が精神的喜びに満ちたものにしていくために、自らが蓄えてきた財産をフル活用しながら、自ら実践していきたい。


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