(平成23年11月15日)
独 立 自 尊
~奥の院に1万回籠もる~
仕事のための組織を離れ、自立の道へ踏み出して一年半が過ぎようとしている。自由という翼を手に入れ、思い描いた半生に向かって五年を見込んだのだが、我がスタイルもどうにか体裁が整ってきたように思う。他人の目からは取るに足りないことと思われるかもしれないが、私にとっては大きな前進ともいえるのです。

スケールの小さな人生ではあっても、結構気に入った日常であり平凡極まりない寂静の世界を満喫している。それは、毎日、毎日、寸分の狂いもない時計の針のように決まりきった生活そのものなのです。

毎朝5時に起き、奥の院である裏山に出かけ、山の上の霊石の上で座禅を組み、日の出の美しさを堪能しつつ読経する。
最も心が満たされる豊かな時間が数十分続く。
自然に包まれて大いなる存在と一つになる。まさに幸福三昧の境地であり、私にとってこれほどの幸せはどこにも存在しない。
早朝のたった2時間の山籠りは、普段では到底考えられないほどの喜びの波動に満ち満ちたものであり、心は幸せの生命エネルギーで満たされる。
朝一番に、この喜びのエネルギーを満タンにすることができる。そのためであろうか、就寝までの1日はエネルギー不足に陥る事はない。
これらは以前にも申し上げた事であろうと思う。

私の喜びは私だけに留まらず、時間とともにあらゆるものに伝染していくように思えて仕方がない。
私の宝物でもある裏山は標高の低い里山であるが、やはり登るのは楽ではない。
幸福は山のようなものであると言われるが私もそう思う。山頂の感動という幸福感を味わいたいと思ったら苦しくとも一歩一歩頂上を目指して登っていかなければならない。
そして、他を頼りとせず自らの足で登頂して得た感動と喜びは大きい。何もせずにただ下界で快楽を貪っていただけでは絶対に味わえないのである。
絶対に買うことのできない幸福感は自らの心を健康に成長させてくれるようである。

どんな些細なことでも幸福を得るためには、一歩を踏み出さねばならない。
喜びは行動とともにやってくるとアランが言っているが、本当にその通りだと実感している。
ただ楽をして待っているだけでは幸福は手に入らない。

裏山は子供のころから登ってきたが、生涯に1万回は登れるのではないかと考えている。
裏山は私の宝物だから・・・・

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