(平成23年4月25日)
どんな生活を望んでいるのか?

 どう考えても豊か過ぎる。
腹八分を有に越えており、人によっては更なる欲望の炎を燃やし、止まる所を知らない。 私は、戦後生れの団塊世代であるが、近頃は自分が幼少だった頃(5~6歳)のことを思い出すことがある。

 私が暮らしていたのは、大きな川の傍の市営住宅であり、そこには平屋の二軒長屋が規則正しく何十棟も建てられていた。 前の家と後ろの家の間に井戸があり、長屋の人たちはこの井戸の水を飲み、野菜を洗ったり、洗濯やお風呂に使っていた。
 私の頭の中に浮かんでくる光景は、5つ年下の弟を背中に背負い、井戸でバケツに水を汲み、自宅の風呂が満杯になるまで井戸と風呂場を何十回も往復している姿である。
 風呂の水が一杯になると次は風呂釜に火を入れることになる。しかし、うまく薪に火がつかないことが多く、うちわで扇いだり、穴の開いた竹筒を口に当て、風呂がまの奥にある薪に目がけて懸命に空気を送り続けた。
 今のように電気、ガス、水道が普及していなかった頃のことであるが何故か懐かしく思い出される。 炊飯器も、洗濯機も、冷蔵庫も、テレビも、エアコン・暖房器具も、車もなかった時代である。
 そんな時代に何の文句も言わず、そういう生活が当たり前と思って生きていた。真っ黒な顔をして、青鼻をたらし、仲間とともに暗くなるまで走り回って遊んでいた。桑の実を食べ、柿やザクロを失敬し自由奔放に生きていた。
 食べ物をはじめ、あらゆる物が不足していたが、何故か心は充足していた。本当に無心で遊び、笑い、楽しかった時代である。

 あの当時の生活と今の生活を比べてみれば、今の生活は想像を絶する、豊か過ぎる、まさにおとぎ話や夢の世界の話であって現実とは思えないものである。
 日常の日々平凡な生活を送っている時は幼少の頃のことなどほとんど思い出すこともないが、よくよく考えおこしてみると、幼少期の貧しかったころの生活と今の生活を比べてみると、貧乏から豊かさへの夢のような激変に驚かされる。
 ちょっと油断すると、昔からずっと今の豊かな生活をしているように思ってしまうがとんでもないことで、考えられないようなものすごいスピードで豊かになってきたことが分かる。
    そして、今生きている日本人の大多数の生活水準は、足るを知る、腹八分目の生活をはるかに超えたものとなってしまった。それは、欲望の大海で目標もなく浮遊している小船のようにも思える。

 我々は今どんな生活を望んでいるのか? どんな社会に住みたいと思っているのか?

目標を見失ったままいつまでも漂流しているわけにはいかないと思うのだが。

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