拝 殿
30年以上前に、ある人から「洞くつ」と「広場」という言葉を教えていただいた。それ以降、この言葉が頭から離れなくなり、ずっと考え続けてきた。 それは、自分自身にフィットしたライフスタイルを構築するために必要なことだった。 「洞くつ」(子宮、あの世)と「広場」(娑婆)のバランスをどのようにとるか? サラリーマン時代は、広場のウエイトが圧倒的で、洞くつの時間は極めて少なかった。 現在は、「洞くつ」(奥の院、本殿)の中に籠もる時間は、広場にいる時間よりもはるかに長くなっている。 この洞くつの中では一人きりの孤独の世界のようであるが、ここは子宮の中であり、居心地抜群で、悩む事もなく、寂しくもなく、むしろ楽しいことの方が多く、心は気ままそのものである。 しかしながら、どんなに気持ちよくても洞くつに引きこもってばかりはいられない。 洞くつと広場のバランスが大切であることからしても、広場の存在は私にとって重要である。 私の3つの領域の3番目が拝殿であるが、これは広場そのものであり、娑婆という社会の中に出て世のため人のために誠を尽くすことである。 この娑婆で生きていくための方策の一つが「呼吸」である。 誰もが息を吸い、そして吐くことによって生きている。 その呼吸に意識をとめることはほとんどない。何も意識していないまま呼吸をしている。 日々活動している時も、寝ているときも、自分で意識して呼吸をさせてはいない。 何の意識をすることもなく、また呼吸の指令を出すこともなく、大いなる存在の力によってただ生かされているだけである。 座禅では、最初に肺の中にある息を全て吐き出せと教える。 そして、もうこれ以上吐き出せないとなると、もうその辺で良いから今度は吸いなさいと教えられる。 娑婆でよりよく生きていこうとするならば、まず第一に行うことは持てるものを吐き出すことだと思う。 次にもうこれ以上吐き出せないという状況において始めて吸うことを許される。 吸う時には、与えていただくことへの「感謝」を申し上げ、そして生活をするために頂いた衣食住等に対しては「小欲知足」の心で答えることが大切だと思う。 まず第一の吐きだす方法であるが、私はこれを道元が示した「布施、愛語、利行、同事」で考えると分かりやすいと思っている。 「布施」は自分の持っているものを必要としている人に分け与えることである。 次の「愛語」は、やさしいく、思いやりのある言葉を発することである。 慈しみをもった言葉は、自らの身を削って発せられる言霊であり、自分自身ではない保有しているものやお金とは重さが違うと考えている。 そして3番目の「利行」は、人様の利益になること自らの心身を使って実践するということである。 最後の「同事」は、自らの身を低くして、あらゆる川から流れ落ちてくる水を受け入れる大海のような大きな心をもって行動することだと思う。 当然、私のような愚鈍で怠け者の人間にできるような生易しいものではないことはよくよく理解しているつもりである。 それでも、吐き出すことを「シンプル」で「スロー」を念頭において、ゆっくりとできることから一つ一つ楽しみながらやっていけば良いと考えている。 長い期間続けてきたカウンセリングとコンサルテーションのノウハウを活かしながら社会に少しでもお役に立てるような生き方ができたら幸せである。
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