本 殿
私の本殿は、自宅の天井裏にある24畳のアトリエである。アトリエといっても、天井がやたら低く、小さな小窓が3つあるだけの薄暗い納戸のような貧相な部屋である。当然エアコンはなく、真夏には40度を越えることもたびたびである。 それでも、この空間は私にとってはかけがえのない神聖な居場所となっている。 この天井裏(本殿)は、裏山(奥の院)と緊密に繋ながっており、深奥の部分では自然・宇宙のエネルギーが充満した魅力的空間である。 そして、この部屋は私にとっての「創造の子宮」と言える大切な居場所となっている。 私は、この子宮の中で苦しみと喜びを味わいながら不細工な絵や仏像を日々出産し続けている。 365日、毎朝9時頃から午後4時頃まで本殿に籠もり、好きな音楽を聴きながら、油絵を描き仏像を彫ることを仕事としている。 仕事といっても、人様に価値あるものとして認められるようなものを生み出しているわけではない。 普通のサラリーマンが職場に出勤するように、私も毎日決まった時間に天井裏に登り、構想を練るために考えごとをしたり、キャンバスに向かって絵筆を握ったり、薬師如来や阿弥陀如来、そして観音菩薩や地蔵菩薩などを彫ったりしている。 また、何もしないで寝転んだり、本を読んだりしていることもあり、人様から見ればかなり好い加減な生活を送っているともいえる。 ただ、サラリーマン時代と決定的に違うところは、 ① 好きなことをやっている ② 365日休みなし ③ お金を得ることはできない といった点であろうか。 それでも十分満足しているところである。 学生の頃にどのような仕事についたら良いか色々考えていたが、その当時やりたいことは2つしかなかった。 一つは「山小屋の主人」もう一つは「絵描き」だった。 残念ながら、この2つは夢で終わり、結局は普通のサラリーマンになってしまった。 それでも40年以上にわたって絵を描き続けてきた。 何故続けられたのかと言えば、自分自身のコンプレックスを打ち消すためにはどうしても絵が必要だったからである。 「欠落しているものを埋める」ために絵を描いてきたといってもよいかもしれない。 このどうにもならない欠落が自分にとって大事なエネルギーの源であったわけである。 欠落しているものを埋めるための唯一の手段である山や絵がなかったとしたら、今日まで生きてこられなかったかもしれない。 本当に弱々しい自分が、サバイバルジャングルで生き延びていくためには、安心・安全・信頼が得られる「居場所」が必要だった。 それが、「奥の院」(裏山)と「本殿」(絵、仏像)だった。
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