(平成23年12月03日)
紅葉の美しさに気づく

羽をまとい自由の身になって1年半が過ぎた。やっと心が潤いを取り戻し、平静の風を感じるようになったと思う。

裏山の紅葉の美しさに気付かなかったのだろうか。もう40年以上も絵を描いてきたというのに。

今までは単に目に映る表層的なものしか見ていなかったように思える。
今では、目には見えない何かを五感で感じ取ることができるようになった。
ほんの僅かではあるが…

あるべき大事なものが目には見えないということは、自然の側に原因があるのではなく、私自身の心に問題があったということなのだ。今になってようやく理解できた気がする。

それは毎朝の山籠りの儀式のおかげだと思う。
山の中で自然と一つになる機会を得ることによって最高の幸せを得ている。
その喜びに満ちた微笑みの眼(まなこ)が見つめる自然の風景は、生き生きとした生命力あふれる壮大な絵画であり、宇宙の深奥から聞こえてくる喜びに満ちた音楽のようでもある。
また、自然が発する香りは心地よく、病んでいた心もいつのまにか生まれくる命のように満面の微笑みを持って柔らかく伸び伸びとしたものに変わっていく。

欲望に突き動かされて柔らかさを失い、石のように硬化した心とは全く違った新たな柔らかな心の誕生を迎える喜びがそこにはあった。

美しい森が鏡のように静寂な湖面に映しだされるとき、そこには想像を絶する美しさが表出する。心も同じであり赤子や微笑仏のような無垢な心であれば、そこに映る風景は驚くほどの美しさを映し出してくれる。
しかしながら、こころが波立っていたらそこには何も写らない。

今は何物にもとらわれない自由な心で裏山の自然の姿を見つめることが出来るようになってきたことに喜びを感じている。

まさに極楽浄土のような紅葉の美しさを知って、その喜びを味わい満喫している日々である。

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