(平成23年04月04日)
中心 の ない生活

日々の生活に中心はいらない。
サラリーマン時代は、仕事が中心だった。 だが、リタイアした今では中心といえるものはない。

少し考え方を変えて自分の日常を観察してみると、裏山に登り、座禅を組み、絵を描き、仏像を彫ることや、音楽を聴き、本を読み、経営の相談を受けること等全てに中心といえるものが無いとも言えるし、また逆に、一つ一つの小さな行動が全て中心だとも言える。

お前の「人生とは何んぞや?」と問われれば、それはそれぞれの「日々の日常」だと答えざるを得ない。 何もそんなに深く考えるほどのことではないということである。

ただ一日一日を頭で考えて生きるのではなく、心のおもむくままに何ものにもとらわれることなく、全てを受けいれ素直に生きることでよい。

過去の多くの時間を仕事にとらわれすぎて、仕事依存症気味になっていたきらいがある。 まさに、自分自身が喪失しかかっていたために、心から仕事を楽しめたとは言えないように思う。

しかし退職後は、本当にありがたいことに過剰な我欲さえ持たなければ、ほぼ全ての時間を自分の思い通りに使うことができ、大好きなことに熱中したり、好きな仲間と楽しんだりと、精神的な喜びを目一杯享受できる恵まれた環境にある。
このような豊かな環境は、過去の権力者である王さまや貴族よりもはるかに幸せであると実感している。

アトリエで音楽を聴いていても、また裏山で虫や鳥の鳴き声、風が奏でる自然の音楽に触れているときも、そして自室に籠もり絵や仏像創作に熱中しているときも、自分の深奥に存在する魂の喜びをはっきりとイメージできるからである。

なんと素晴らしい「時」なのだろうか。 これは宇宙の生命から全ての人間に与えられている極上の贈り物なのかもしれない。
感謝 感謝 感謝。





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