(平成23年04月02日)
山の上に立つ一本の木

生きる理想の形を思うとき、山の上にしっかりと根を張り、自己主張することもなく静かに淡々と生きている平凡な木を思い浮かべる。
その姿は何ものにもとらわれることなく、嵐が来ようが災難に遇おうともびくともせず、しっかりと大岩に根をおろし動ずることがない。 それでいて穏やかに、やわらかく、しなやかに全てを受容しているかのように見える。

さらに、天に向かって力強く伸びる枝葉を眺めてみると、そこには太陽からの生命エネルギーを無駄なく効率よく受け取るために、全身全霊を傾けて自らをより良い形に変化させようとしている姿が見て取れる。
絶対にあきらめることなく、最後の最後まで一瞬一瞬を無心で生きようとする真摯な姿は実に美しく偉大だ。 しかし、その美しく偉大な木は誰にも知られることもない、まったく無名なままの存在である。 だが、山の上の岩場にしっかりと根を張った一本の木は「無名こそ有力」と叫んでいるようにも聴こえてならない。

そして今度は、山の中に根を張る無数の無名な木々に目を転じてみると、そこには中心がないことが感じ取れる。 そのような中心のない静かな空間に我が身を置くと、なぜか心が透明になっていくような不思議な感覚を覚える。 それは、ちょうど山の中の木々と自分がゆっくりと一つに重なっていくような情景にも思えるし、また、中心である心が鏡のような清浄な状態に近づいていくようにも感じられる。

心がすーっと落ち着いていく何ともいえない至福の時である。

どんなに利己心の強い人であっても、この自然の空間に身を置くことによって、その人の心の深奥に存在する何かがゆっくりと変化してくることが分かる。 私の愛する山には人工的な都会の刺激とは決定的に違う何かがあり、そこでは有り余るほど豊かな空間が何層にもわたって堆積している。

中心がない心地よさを満喫しつつ、心の中に新たな生命エネルギーを注ぎこみ、またいつもの日常に戻っていく。



トップ      ホーム