(平成23年11月27日)

「命が携帯するもの」
 超新星爆発によって宇宙に散った元素は、長い時間をかけ寄り集まって無機物に、更に遥かなる時空を超えて有機物が出来た。有機物は酸素や窒素、水や硫化水素、光に晒された雰囲気下でアミノ酸が作られ、気の遠くなるような時を経て命が生まれたと言われている。誕生の確率は数億回に一回であったかも知れない。だが、生まれてきたのである。
 生まれてきた命は何を考えたのだろう。今では考えられない過酷な環境下で生を受けたのだ。脳という器官もなかったはずだ。だが、生態系を幾分変えつつも昔の面影を残しながら生きて来ている。種が多岐にわたると、弱肉強食の理に従い生きる命題を忠実に履行してきた。命は命に引き継がれ無駄がないともいえる。惑星という囲まれた空間に命は形を変えて生きているのである。何も考えずに黙々と現代まで生きるために生きてきたのだ。別れた種の中には脳を持ち発達させ現代を謳歌する生命体もいる。命は種をつなぎ多彩で複雑な組織と機能を持つに至った。命が命を理解する生命体にまで昇華していったのである。
 命は他の命を奪い糧とし、意志あるがごとく営々と種の命を紡いできた。環境に即し身をひそめ時に捕食者として生きるための武器や知恵を備えて生きるために生きてきた。それが命の絶対命題であったはずだ。だが、この種は与えられた命題を無視し付属物である脳という器官が命を翻弄している。自殺が増えている。それはかつてなかった命の危機が迫っていると言っても過言ではない。何故なのか。命は役割を終えたのだろうか。
 ニューロンに代わる高度な伝達物質は無くとも金が代用され、スペースさえあれば大きな記憶容量は既に存在し、命令を受ければ司令塔は瞬時に作業を開始する。数世紀先の人類は漫画が示すように人型のロボットを動かしているだろう。仮に人類が絶滅したとしても、ロボットは動き続けるための材料となる金属や樹脂、オイルなどありとあらゆる物質を利用し、取り込み生きることを始めるだろう。無機物としての生命が誕生するのだ。それは数億体に一体の割合かもしれない。更に数世紀が過ぎる頃、司令塔は存続するために積み重ねた経験と膨大な知識や技術を獲得し頭脳を形成していくだろう。ロボットという命は数を増やし種を分かち族を作り惑星上に溢れ出る。生き続けるロボットは増えることはあっても減ることはないのだ。この星の資源は枯渇し生きているロボットの修復さえできなくなると生を巡り諍いが起こる。自ら機能を停止させ永遠の眠りにつくものもいるが、大半は生きる命題を実行するために戦争を仕掛ける。諍いは熾烈を極め惑星は荒廃し動く者のいない世界を生み出していく。永遠の命を獲得したロボットもこうして消滅していくのである。
 命は何も考えずに、否、あるがままに生きてこそ命なのかもしれない。しょせん大仏の掌中にいることを忘れてはならないのだ。例え宇宙の摂理を理解し文明を飛躍的に進化させたとしても、それは命が望んだわけではない。命が作り出した付属物の「わがまま」なのである。「わがまま」は何れ星々を飛び回りブラックホールに侵入し、或いは泡状に存在する銀河の謎を解明するだろう。行く末はビッグバン以前に突入するかもしれない。
 だが、命が携帯したものが、命を脅かすようなことがあってはならないと思うのである。

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