(平成23年11月14日)

「名医の条件」
 さして年とは思っていない。なのに医者通いは何故なのか。体重80キロは病弱とも見えない。「単に不摂生と怠慢である」とはカミさんの口癖なり。糖尿病はもう長いこと患っているが、何時からなのか記憶にない。掛かりつけの内科医は10キロ体重を落とすようにとにこやかに話しかけてくる。落としたいのはやまやまではあるのだが、椎間板ヘルニアは歩くことを15分と決め付けている。多分に言い逃れと聞こえるかもしれない。
 最近になって、足がむくんでいるように思え、進まない気を押して大病院の門を叩くことにした。疾病の詳細が知りたくなったからである。場所を変え建てられた病院は、まだひと月あまりの真新しい装いと、見渡す限りの駐車場は我が国の人間なら誰でも知っているメジャーな病院を誇示している。院内は不慣れな人を案内するスタッフがあちこちに見受けられ安心感が漂っていた。受付を経て受診番号の入ったファイルを渡され内科入口前の椅子に腰を据える。医者が診るであろう診察室は7つあり、その前が受診を待つお客様で一杯になっている。診察室を14番と指定され暫く待つことになった。診療室の上部には電光掲示板が、何人か後の順番までを表示して自分の番が何時頃になるのかを教えている。だが、全ての診療室で事前表示があった訳ではなかった。番号を表示せず、いきなりお客様を呼ぶ診察室もあったのである。2時間が過ぎる頃、あまり出入りの無かった15番診察室からマイクを通しお客様を呼ぶ声。
「○○さん15番診察室へ」
入口に立った老婦人はスライド式のドアを開けながら恐縮そうに言った。
「主人がトイレに行っているので少し待ってください」
声は聞こえなかったのだが、そう言っているように思えた。受診をするのはご主人の方らしい。すると奥からだいぶ年配と思しき女医の声。
「早くしてください。時間がないんだから!」
随分離れて座る「不摂生と怠慢」お客の耳にもはっきりと聞こえたのだ。来なくてもいいお目付け役と顔を見合わせ、
「まだこういう人がいるんだ」
絶句したのである。
老婦人は慌てた様子でご主人を迎えにいったが、1,2分もしない間に別々の方角からやって来て診察室の前で鉢合わせをしていた。老婦人は小言を言うようにご主人を急がせ診察室に消えていったのである。
 最近よく目にする記事に患者の暴力行為がある。医者や看護師、看護婦さんはいわれのない暴力に憤りを覚えているのかもしれない。感謝を忘れたB級星人(いずれこの星人については触れたいことがある)がいかに多いことかと思う。ただ、全ての人がB級星人とは限らないのだが。
 私が14番の部屋に呼ばれたのはそれから30分ほどしてからだった。医師は若い感じがした。温厚な表情とは対照的に的確な質問は既に病状を見抜いているようにも思えた。だが、検査もせずに状況を話すようなことはなかった。その後、血液検査、心電図、自宅でポリ瓶への採尿、エコー検査等色々な検査が行われたのである。2週間ほどが経って医師の診断が下った。
「腎臓が弱っているようだね。このエコー写真を見ると分かるように少し波を打っている」「腎臓は元に戻らないが糖尿病をコントロールすることでこれ以上悪くならないよう注意したほうがよい」「掛かりつけの医者に手紙を書いてあげよう」
ご託宣が降りたのであった。しかし、小心者のお客さんには納得がいかなかった。腎臓が悪くなっていることくらいはおおよそ承知している。現在、どのくらいの症状で今後どういった処置若しくは治療が必要なのか、肝心なことは何一つ話してはいない。
「先生、透析は何時頃始まりますか」 お客さんは結論を急いだ。同伴してきたお目付け役は先走るお客さんの背中をコズいている。
医者は少し躊躇した様子が伺えた。
「個人差もあるが尿からタンパクが出始め10年くらい経つと約60%の人が透析を始めている」
言い終えて、医者は言ってはならないことを話したようにも感じられた。
「掛かりつけの病院の名前は何と言うのですか」「お手紙は帰りまでに作っておきます」
パソコンに向かって執務する医者に通いの病院名を伝えると、これ以上質問は無用に思えた。何かに促されるようにお礼を申し上げると退室していたのであった。
 毎月、通っている病院は片田舎にあるが、何時も大勢のお客さんで混んでいる。受付兼会計のお姉さんに、何故、外に大入り満員の掲示を貼り出さないのか、と、注文を付けるのだが、意に介さず風のようにあしらわれるのが常である。
 大病院から預かってきた手紙を差し出してその理由を説明し、尿採取や血圧、血糖値検査を受ける。暫くすると順番がやってきて診察室へ通された。温厚で勉強熱心な先生は手紙に目を通しながら小心者の話を聞いている。どんな内容の通信文なのか分からない。先生は足のむくみや症状を聞くとあの大病院の先生よろしく言った。
「ヘモグロビンA1C(赤血球に付く糖質の割合)を6%台に抑えることが肝心です」「そのためには体重を下げないといけない」
聴診器を当て処方の薬を確認するがそれ以上のことは言わなかったのだ。あの大病院の先生のようにお客を無用に驚かすこともなく優しく大きな揺りかごに乗せたまま見守られている気がした。小心者に妙な気遣いをさせまいとしているかのように。
 今日も穏やかないい一日だった。横たわり浴槽からむくんだ足を出して眺めている。「なるようにしかならない。何事も平静に!」両先生の言外の言葉が聞こえていた。・・・・続く


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