(平成23年11月10日)

「ニュートリノの祝詞」
 スーパーカミオカンデとは何なのだろう。ニュースを見てニュートリノという素粒子を検出する装置だということは分かった。でも名前の由来には触れなかった。気になって仕方がなかったのでパソコンで検索することに。以下はパソコンに掲載されている記事より借用させていただいたもの。
* カミオカンデ(KAMIOKANDE)は、ニュートリノ観測用の観測装置で、岐阜県 神岡鉱山地下1000mに作られている。KAMIOKANDEは、Kamioka Nucleon Decay Experiment(神岡核子崩壊実験)の意味もあるが本来は別の意味で使われていた(小柴昌俊博士談)。現在、カミオカンデは解体されていて、跡地には、「カムランド」(東北大学の実験装置)が設置されている。 また、「スーパーカミオカンデ(Super-Kamiokande)」は東京大学宇宙線研究所によって建設されたニュートリノ検出装置のこと。
とある。
本来の意味とはどんなこと何だろうと興味は湧くが、これ以上はノーベル物理学賞受賞者の小柴博士に聞くしかない。だが、至って腰は重い。すごすごと引き下がることにしたい。ただ、カミオカンデとは何とも心地いい響きではないだろうか。
 ニュートリノがどのような物質から崩壊しどのくらいの質量をもっているのか等全く興味はない。ダークマターの一種であるとかビッグバンの生前が分かるのではないだろうか等も全然興味はないのである。何に魅かれたかと言うと光よりも早く進む粒子の可能性があり、過去へ行けるタイムマシンが出来るのではないかという記事を読んだからである。ただ、一説にはあの天才物理学者であるアインシュタイン博士の特殊相対性理論を覆すことになるらしい。後にも先にもそんな理論が分かるはずもなく聡明な研究者に任せればよいとして、本当にそんなことが出来るとすれば前代未聞の大発見であり、又、大きな騒ぎの基でもあると思えるのだ。
 人は紀元21世紀を迎え素晴らしい技術を獲得し逐一細部までを記録・保存することが出来るようになった。それも人類が繁栄し続ける遠い未来までも。その事柄が正しいのか否かを問わず。
 人間は家族間、隣人同士、地域世俗、政治・司法・行政、国際社会等において言動は正しいと納得して生きてきただろうか。もし、当たり前だとおっしゃる方がいるとしたなら、どこかの医者に診てもらった方がいい。若しくは直ぐにでも精神科の門を叩くことをお勧めする。小説を生業としている者にとって、事実は小説より奇なりと言えなくなってしまうではないか。それくらいこの世は事実を真実とは認めていないのだ。ただ、認めてはいないが真実を究明することは至難の業どころではないように思える。
 ニュートリノが光速より早く移動できる現象が発端となり、過去へ行ける理論や技術が確立されたならとても面白いことが次々に起こるにちがいない。キリストや仏陀の行いを間近で見聞きできるようになり、宗教戦争の愚行を思い知らされるかもしれないし、偉大なる史実の人物が意外な行動をしていて世間をあっと言わせるなら,行政がしている気の進まない情報の開示以上に週刊誌を賑わせるだろう。灰色でも証拠という決め手を欠いた判決は、過去へ検証に行った検事や裁判官を路頭に迷わせること請け合いである。
 しかしである。悪行の限りをつくしこの世を去った者の近親者も、未だ発覚せずのうのうと暮らす犯罪者もこの過去へ行けるタイムマシンを使わない手はない。一族の汚名を塗り替え行ってきた悪徳を一掃したいと願うのは人の子である。あるいはカミさんに已むに已まれぬ嘘をついたばかりにそこを修復しようと過去へ出かける気の毒なご主人もいるかもしれない。皆が皆、人を陥れる嘘や詐欺も殺人などの凄惨な犯罪も過去へ行って修正するようになると現在が変わることになる。帰ってみると犯罪を止めさせに行った本人が存在しない場合もあるのである。即ち生きたままの幽霊となっているかもしれないのだ。多分そんなことにはならないとは思うがタイムマシンが出来てみないと分からない。社会は混乱の極みに陥り、中には憤慨し生活権の侵害だと主張する推理小説家もいるに違いない。更にはそれらを読めなくなる読者は大いに落胆することになるだろう。
 現代にあらわれた「ニュートリノ」は唱える。人間どもよ!なんでもお見通しであるぞ。人は何時でもいつまでも自然であれと!

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