(平成23年2月20日)

「深夜0時過ぎの覚醒」
 朝に比べ夜はめっぽう強い。だからなのか眠い顔を合わせれば少なからずカミさんに小言を言われる。
陽が落ち闇が近づくにつれ、不思議と眼が冴えてくるのは一種の暗示なのかもしれない。ただ、日中はまぶしくて涙が止まらず夜の方が都合が良い事情もある。眼底出血に伴い網膜にレーザー治療を施してからというもの日中の光は少しうっとうしく感じている。多分に言い逃れではあろうか。

 昨年の5月頃であったと思う。この日も夜遅くになってますます目が冴え、光TVにスイッチを入れると囲碁・将棋チャンネルで銀河戦が真っ最中であった。
銀河戦は予選を通過した96名の棋士による早指し戦で、本戦のTV放映は持ち時間15分、切れたら一手30秒、それ以外に10分の考慮時間がある。左図はTVを付けてから数手後の指し掛け図である。丁度先手が7八竜と後手の銀を取り詰めろをかけた図であり、後手玉は裸同然で受けが難しい局面。(7八龍の位置について説明すると、右下升目を起点として左横へ算用数字で1.2.3・・・・9同じく右下より上部へ漢数字で一.二.三・・・・九と位置づけする。7八龍とはその交点上の位置を指す。又、詰めろとは次に詰みますよという意である。) 飛車が向き合うと急戦で短手数の将棋になることが多くアマチュアにとっては面白い戦いとなることがしばしばです。

 対局室から離れ、TVに映し出された大盤では聞き手と解説者が視聴者に対し指し手を分かりやすく説明してくれる。たいてい聞き手は若い女流棋士若しくはアマ女性高段者と決まっている。囲碁と違い将棋では同じ土俵上に女性棋士はいない。女流という特別の枠を持っている。棋戦により女流の出場枠があり男性棋士と対局することはあっても通常は顔を合わせることもなく、大盤解説でその容姿を見るくらいなのだ。ただし、女流は女流として幾つもの棋戦を持ち活躍していることは言っておかなければならない。聞き手に対し解説者は男性のプロ棋士であり先生である。従ってここでも解説者に伺いを立てている。
 「先生、後手は詰めろをほどけそうにありませんね」そんな会話であったように思う。解説者も受けは厳しいようだと答えている。後手の持ち時間は数分あった。真剣な盤上没我は二通りの選択肢を残し、だんだんと持ち時間を減らしていく。二通りとは万策尽きて投了するか、妙手をひねり出し勝ちを引き寄せるかのいずれかである。ただ、プロである以上、負けるにせよ最期まで闘志を見せないわけにはいかないのである。簡単に勝たせないのもプロなのだ。残り時間も切迫し、秒に追われて後手が指した一手は6一金の王手であった。解説の先生はこの手を予想もしていないようだった。嫌、有りそうとはしても相手に駒を渡す手は最後まで詰みを読み切らなければ指せない手なのだ。先生にはまだ詰みは見えていなかった。
 勿論「喰えない奴」に見えるはずもない。ただ、寝転んでいた体はいつの間にか起き上がっていた。取る一手に畳み掛けるように5二銀と捨てる。後手は既に30秒の秒読みに追われてはいるが指し手は妙に力強い。取る一手にすかさず5三歩と急所に手裏剣が飛ぶ。同じく銀の一手。そこで放たれたのが盤上この一手、3二飛車。金駒合いを強要するこの一手が勝ちを引き寄せる妙手となったのです。
 解説の先生は後手が3二飛車と打ち下ろした時にはもう後手勝ちを読んでいたようです。後手が自陣の角を切り桂馬を駒台に乗せたところで終局となりました。

詰みまでにはそれから十数手はかかるのですが、さすがにプロの対局者同士、棋譜を汚さない配慮なのか潔い投了となったのでした。
 まだ放送時間もあり聞き手と解説者は対局室へ移動していく。対局室では二人の対局者とその奥に秒を読み棋譜を取る一人二役を兼ねた奨励会会員の三人が待ち受けている。二人の対局者は正座のまま微動だにせず盤上を見続けたままだ。戦い終わって尚、闘争心がひしひしと伝わってくる。持ち時間の少ない対局は現状を認識し自分を納得させる余裕を与えてはくれない。高みに極まった感情はすんなりと軟着陸するのを拒んでいる。聞き手と解説者が入室し局面を指定して感想戦が始まって初めて両対局者の口が開く。指し手は変化の局面に差し掛かって持論を披露し展開させていくが、そこにはもう拘りはなく真理の探求だけが見えていた。プロとはそうしたものなのかと体が熱くなる。二人を勝者にできない理不尽さを恨むしかない。

 余計目が冴えて眠れない。羊の数でも数えるとするか。
 
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